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1971年(昭和23年)創業 地域密着の自動車販売店「相馬モータース」

昭和23年創業の老舗自動車販売店「相馬モータース」

相馬モータース創業者の「相馬順一」は、青森県で生まれました。仙台の自動車専門学校を卒業後に上京、いすゞ自動車へ就職して自動車整備の道を志しました。

「自分の工場を持ちたい!」

いすゞ自動車で自動整備を学んだ順一は、自分の店を持ちたいと独立を考えていました。そんな時に、杉戸町にある全長寺の住職から「お寺の敷地で自動車整備をやらないか?」と誘われ、23才の時に全長寺の軒先を借りて、自動車整備業「相馬モータース」を創業しました。

創業時の相馬モータース お寺の軒先で創業しました

天井が見える自宅で生まれた2代目社長「順治」

青森県で生まれ育った創業者の相馬順一は、杉戸町に顧客が全くおらず、まさにイチからのスタートでした。お寺の軒先を借りたというくらいですから、自動車整備工場としての設備は整っておらず、文字通り軒先を借りての創業です。杉戸町で「相馬モータース」を創業したちょうどその頃、現社長の「相馬順治(よしはる)」が誕生しました。母親いわく「トタン屋根で寝ていたら空が見える」そんな環境で、家族で地域のお客さまの自動車整備をスタートしました。

当初は創業資金も無く、資金も無いため家族でお寺の敷地に住み込み、それこそ寝食を忘れて仕事に明け暮れ、母親は子供を背負って洗車や経理をするなど、まさに家族総出で順一の始めた自動車整備という仕事に邁進しました。

キャプション

お寺の敷地を借りて自動車整備業を地道に行っていると、徐々に杉戸町の地域の顧客も増え、事業が軌道に乗ってきた頃、今の本社がある土地を購入しないか?と声がかかりました。「よし俺もいよいよ一国一城の主になるぞ」と考えた順一は、土地を購入することを決断、お寺の紹介で不動産屋さんを訪ねることにしました。

保証人も居ないあんたには土地は売れないね

「整備工場を建てるので土地を買いたい」と不動産屋を訪ねた順一でしたが、裸一貫で青森から出てきた順一には杉戸に親類もおらず、土地を買うための保証人を立てることができませんでした。当時も今も、土地や建物を購入するには保証人が必要です。

「俺には無理なのか・・」と悩んでいるところが、お寺の軒先で地域のために一生懸命働いている姿を知っていた、不動産会社「藤田不動産」の社長が、よし!俺が保証人になってやる!といってくださり、資金を借りることができて、お寺の軒先から現在の場所へ移転することができたのです。通常、土地を買うのに、仲介会社の不動産屋さんが保証人になることはあり得ません。お寺の住職や不動産屋にも信頼される「順一」の人柄を表すエピソードと言えるでしょう。

藤田不動産の社長が保証人となり土地を購入

お寺の軒先から、小さいながらも土地を購入して整備事情を拡大してきた「相馬モータース」ですが、一緒に働いてくれる仲間が増え、この頃には4人の従業員を抱える抱えるまでになり、杉戸町のお客さまに支えられて順調に拡大することとなりました。

あなたにお金は貸せません

当初は自動車整備を主として事業を行っていた相馬モータースですが、あるとき顧客にクルマを買いたいと相談されるようになりました。多くの顧客に「あんたからクルマを買いたいんだか」と言われたのをきっかけに、自動車整備と並行して自動車販売業もスタートすることになったのです。多くのクルマを販売するためにはてんぽも必要になると考えた順一は、整備工場の隣に販売店を作ることを考えました。

ところが、土地の購入と同じく前途多難だったのです。販売店を始めるために「店舗を建てたい」と銀行に相談に行くと、どこの銀行も「あなたが自動車ディーラーと取引していることを証明する書類をもってきてください。そうでないと融資はできません。」と言うのです。

そこで順一は、今まで取引して何台もクルマを仕入れたディーラー取引証明書を出してくれるようにお願いしに行きました。トヨタ・ニッサン・ダイハツ・スズキなど、すべてのディーラーに「もっとクルマを売るので取引証明書を出して欲しい」とお願いしましたが、どこのディーラーも20代の若造であった順一に取引証明を出してくれるディーラーはありませんでした。

あなたならきっと大丈夫 私が証明しましょう

「頑張ってクルマを売ると行っているのに、なぜみんな協力してくれないのか・・青森から出てきた俺には無理なのか」そんなふうに考えていたころ、ある自動車ディーラーだけ救いの手を差し伸べてくれました。それがスバルでした。多くの自動車ディーラーが門前払いだった中、スバルだけは「あなたの経歴を調べましたが、きっと大丈夫でしょう。ぜひ我が社のクルマを杉戸町の人たちに届けてください。」と、取引証明書を発行してくれたのです。この、スバルからの取引証明書をきっかけに、建物建築の融資を受けることができるようになったのです。

あなたはご存知かわかりませんが、現在の相馬モータースは、トヨタやダイハツ・スズキなど、すべてのクルマを販売する総合ディーラーとなっています、しかし、唯一スバルだけは別棟の専用工場を建てて、スバルのクルマの販売とメンテナンスを積極的に行っています。当時、青森から出てきて杉戸町に信用の無かった相馬モータースを助けてくれた恩に報いるため、今でも積極的にスバル車の販売やメンテナンスにも力を入れています。小さいながらも地域のお客さまに認めてもらおうと必死で働いた結果、杉戸町の方々に信頼され、各メーカーの新車販売や車検点検などの自動車整備販を拡大してきたのでした。

当時は全員10人弱の所帯を抱え、工場の2階の自宅に家族で住んでいた相馬一家と相馬モータースに、創業以来最大の悲劇が訪れます。

火の不始末から自宅兼工場が全焼!

順調に事業を拡大して工場の二階に住んでいた相馬一家ですが、火の不始末から火災を起こしてしまったのです。この火災が原因で、工場兼自宅を全焼して失ってしまったのです。

このときの事を、現社長の順治(よしはる)はこのように記憶しています。当時小学4年生だった順治は、学校の授業中に先生から「相馬くん!家が火事だって!」と知らせを受けました。「自宅が家事」というのは、大人でも不安にかられる話です。恐怖と不安に怯えながらも、学校を飛び出し自宅兼工場のある相馬モータースに帰ると、今まで住んでいた自宅兼工場は完全燃え尽き、柱一本しか残っていなかったことを今でも鮮明に覚えているそうです。

自宅兼整備工場が全焼 失いました

絶対に俺はやり直す

順治を含め子供3人を抱えていた順一は、焼け焦げて柱一本しか残っていない瓦礫だらけの工場を前にして家族を集め「またやり直そう!絶対に俺はやり直すよ。」と決意を新たにしました。しかし、工場の柱1本意外すべてのものを失った相馬モータースと相馬家は、しばらくの間は仕事もできずに家族で食うものも困る生活が続きました。しかしこのとき助けてくれたのが、この杉戸町の顧客や地域の自営業仲間だったのです。食事を提供してくれた地域の農家の方々、町内会で寄付を募り見舞金を募ってくれた町会の皆さま、古着をくれた学校の友達、もちろん多くの取引先の皆さまも、多くのサポートをしてくれました。仕事を再開するための工具も一つもない状態から、地域の同業者が工具を貸してくれたり、中古の大型機械を見つけてくれたりと、仕事を再開できるように影に日向に助けてくれたのです。

地域の皆さまに助けられた御恩は忘れません

青森から単身上京、身一つで杉戸町にやってきた相馬家でしたが、お寺の軒先で自動車整備の事業を始めてから愚直に仕事をしてきたことが評価され、地域のお客さまの信頼を勝ち取っていた相馬モータースと相馬家は、地域のお客や自営業者仲間や、同業者、取引先などに物心両面から助けられ、なんと、火事から3年後には、無事再建を図るのです。

自宅兼工場が全焼するという悲劇や逆境を乗り越えた相馬モータースは、今では、この地に1万人の顧客を抱え、毎日多くの地域の顧客のクルマをメンテナンスしています。当時、販売証明書を出してくれなかったその他のメーカーのクルマも多くの販売実績を積み重ね、今では年間200台を超える車両の販売を行なうようになり、1,000近い整備を行う、地域密着の自動車ディーラーに成長したのです。

私たちは、あのときのご恩を生涯忘れません

いまでは第一線を退いた創業者「相馬順一」と、当時小学生だった現社長「相馬順治」は、この時の地域のみなさまの恩義を今でも忘れていません。みなさまのおかげで無事立ち直ることのできた私たちは、いまでもその恩を忘れること無く、地域のお客さまのために働いています。

私たち家族は、お寺の軒先で事業を始めた時、工場が火事の時、地域の人達に助けられました。今度は、私たちがお役に立つ番です。クルマのキズや凹みの修理は、できればやりたくない出費のはずです。「いくらかかわからない」「できるだけ安く修理したい」「ディーラーの修理費用が高くて困っている」そんな、不安や不満な気持ちを取り除き、地域のお客さまの不幸を元に戻すのが私たちの仕事です。私たちは、地域の皆さまのキズや凹みの悩みをしっかり聞いて、ご希望に合わせて元に戻すお手伝いを行います。

相馬モータースは、地域の皆様から受けた当時の恩義を忘れること無く、正直に、ていねいな修理相談を行うことをここにお約束いたします。

親子二代で地域密着のサービスを提供します

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